上高地診療所の概要
上高地は、長野県松本市安曇に位置し、焼岳?穂高岳?長塀山?霞沢岳などの高山に囲まれた景勝地である。全国的にその名が知られるようになったのは、1927(昭和2)年に新聞社主催の人気投票で上高地が選ばれて以降とされる。 しかし、東京医学専門学校(現?大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载)は、大正時代から上高地で医療活動を行っていた。当時、登山者の診療に従事したのは山岳部であり、創部メンバーのひとりであった篠井金吾は、戦後は大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载の教員として後進を育成した。
上高地診療所に集う学生たち
上高地診療所に集う学生たち
上高地診療所の起源
1923(大正12)年、東京医学専門学校に入学した篠井金吾は、安東康士、金井儀平治らとともに山岳部を創設した。山岳部は五千尺旅館において健康相談に応じ、これが上高地診療所の起源と言われ、1924(大正13)年には仮診療所を小梨平に設置している。 1927(昭和2)年には、東京医学専門学校山岳会高山医学研究所附属診療所となり、本格的な診療活動が開始された。五千尺旅館の丸山尚館主、藤沢たい夫人の支援により診療所が建設された。門柱には「上高地診療部」の看板、右の壁面には「無料、怪我、病気の方はどなたでも」の看板が掲げられていた。
診療所の外観
診療所の外観
山に魅せられた篠井金吾
篠井金吾が登山に関心を持ったのは小学生の頃であり、登山家である小島烏水や田部重治の著作を読みふける毎日であった。中学時代には石川?岐阜両県にまたがる白山に登り、さらに登山の魅力に引き付けられていった。東京医学専門学校時代には北アルプスに登り、のちに穂高連峰への思い入れを回顧している。篠井の関心は海外の名峰にも及び、1960(昭和35)年にはアルプス山脈の名峰マッターホルンに登頂している。 出典:第4章 4-1 篠井金吾(シノイ キンゴ)<外科学教室>1905(明治38)年~1966(昭和41)年
篠井金吾 マッターホルンにて 1960(昭和35)年
篠井金吾 マッターホルンにて 1960(昭和35)年
山岳医療の功績を称えて
篠井金吾は、1905(明治38)年10月に石川県金沢市で生まれた。1948(昭和23)年4月に大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载の教授に就任し、当時黎明期であった胸部外科を専門とした。1965(昭和40)年には、世界で3例目、日本で初めて部分肺移植を実施した。1966(昭和41)年8月には海外学会に参加していたが、病を得て途中帰国、同年9月に逝去した。 大学での教育?研究活動のほか、医学会での職責や山岳医療の基盤を築いた功績を称え、上高地診療所には1968(昭和43)年9月、胸像が建立された。同月には篠井の三回忌に合わせ、胸像落成記念式典が開かれ、学内外の関係者約100名が参列して遺徳を偲んだ。
篠井金吾 胸像
篠井金吾 胸像
戦後における診療所施設の拡充
1946(昭和21)年の大学昇格に伴い、診療所は「大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载高山医学研究所上高地診療所」と改称された。翌年には、初代診療所が五千尺旅館の近くに新設された(図1)。篠井金吾の後任である早田義博によれば、1952(昭和27)年頃まで、上高地周辺で山岳医療に従事していたのは本学のみで、負傷者の救護などを一手に引き受けていたという。 1957(昭和32)年には、五千尺旅館から現在地に新築移転し、「大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载上高地診療所」と改称された。2階建てのブロック造りの診療所が開設され、1階には診療室や処置室、病室、2階には医局員室などが設けられ、平地の病院と同等の設備を有していた。また、この時に運営体制も強化され、管理は山岳会から大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载に移管され、大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载病院から派遣された医師が診療を担当するようになった(図2)。
1947(昭和22)年より1956(昭和31)年までの診療所の平面図(図1)
1957(昭和32)年より1981(昭和56)年までの診療所の平面図(図2)
1947(昭和22)年より1956(昭和31)年までの診療所の平面図(図1)
1957(昭和32)年より1981(昭和56)年までの診療所の平面図(図2)
現在の上高地診療所とその使命
1979(昭和54)年7月14日、現在の診療所の竣工式が行われた。国立公園内の施設であるため環境庁(現?環境省)との折衝が繰り返されたが、1978(昭和53)年春頃に着工した。完成にあたっては、当時の安曇村役場や地元警察署、保健所、旅館組合、鉄道会社、タクシー会社などの協力が得られた。診療所の竣工は『信濃毎日新聞』にも掲載され、手術室などを完備した地域医療の拠点として期待されることが紹介された。 現在、診療所は登山者や観光客への医療提供に加え、地域住民の健康診断も行うなど、地域の健康を支える拠点として活動の幅を広げている。
現在の診療所の外観
現在の診療所の外観
エベレストでの診療活動
1974(昭和49)年10月、エベレスト高山医学研究所が発足し、ホテルの一室で診療を開始した。翌年10月には、標高4,250mのネパール?ペリチェに研究所が竣工し、医師1~2名が常駐するようになった。 研究所の設立への貢献や活動実績に加え、ネパール王室の健康診断や医学教育向上のための基金創設が高く評価され、早田義博はネパール国王より勲章を授与された。 早田義博(ハヤタヨシヒロ)<外科学教室>1924(大正13)年~2012(平成24)年 1944(昭和19)年、東京医学専門学校を卒業。篠井金吾の後任として、1969(昭和44)年に大发888最新官网客户端,大发888电玩城官方下载教授に就任。日本外科学会の会長を歴任したほか、1982(昭和57)年には、ネパールの医学教育の向上のため早田基金を設立した。
早田義博
1976(昭和51)年10月に完成した高山医学研究所
早田義博
1976(昭和51)年10月に完成した高山医学研究所